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vol.21
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| 古都鎌倉、梅雨の合間の水無月。もみじの青葉が玄関脇にいっぱいの風格ある数奇屋作りです。改築中で通された日本間はシルクロードを思わせる置物があり、「お待たせ」と入っていらっしゃいました。7月号のオフィス訪問コーナーは日本画界の巨匠、民間親善大使としても活躍されるの登場です。 |
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「やあ鰐渕さん」と気さくにお話いただく先生にオシャレのポイントを伺うと「教育関係、役所関係、ユネスコの親善大使などの対外的な役職が多かったので、基調はずっとダークスーツです。代表として事前に略礼式用の黒、重要なときはブラックタイをいつも用意しております。不意に国家主席や大統領といった要人にお会いする事も多いものですから」とおっしゃる平山先生。「私物であって私物でない」という常に公的な場を意識した服装で先生の“礼を尽くす”姿勢が伝わってきます。
洋服については「仕事柄、公式的なことが多いので楽しめないのです。例えば飛行機に乗って楽な服装をしたくてもどこで誰に会うか分かりません。空港からホテルに着くまでの間で必ず一人や二人は誰かにこんにちはといわれてしまいますから(苦笑)自宅ではアトリエにいることが多いので、逆に仕事着のままお会いすることも多いんですよ」
芸術家らしい“オシャレな服装”をしようと思われて、旅行先でお洋服を購入される事もあるそうですが、「背広を作っても色が気にいらないと、全然着ないまま終わるケースもある。逆にジャケットは、カラフルなものが多く、非公式に旅行や取材をするときに着る事が多いんです」との事。
世界で唯一の被爆国日本、先生は広島で被爆されました。「中学生で15歳の時に、先生と生徒で201名即死、同学年も放射能障害で後に50名が亡くなりました。各学年で合わせると計350名以上亡くなりましたので、もうダメかなぁと思う時もあったけれど、運が良く奇跡的に好きな絵を描き続けていられます。私の人生は犠牲者たちの上に自分の人生が成り立っていると思うから、皆に成り代わり、社会、世の中へお返しする気持ちが常にあります。」
外国にはユネスコのフェローシップをきっかけとして昭和37,38年にヨーロッパへ渡り、それから中東から東へ向かっての旅が始まります。「30年間累計すると悠に100回を越え、年間に5〜6回は行っています。最近の中国を見ると情報は変わっていくし貧富の格差の問題はあるが、あれだけの大国には様々な意味でお世話になりますね。卑屈になる必要はないのですが、迷惑をかけたことを忘れてはいけませんし文化的な恩恵を受けたことには感謝しなければいけません。『共存共栄』とは根底に先方への尊敬や理解があると大事に至らないと思います。基本的な人と人との関わりと同じなんですが、それはあらゆる国との関わりに対しても言える事なんです」。
シルクロード、ヨーロッパと巡礼をされた先生は宗教に対して「イスラム、キリスト教は一神教で徹底的に他を排除する原理主義が横行しています。日本はクリスマスを祝ったり、大晦日に除夜の鐘があり元旦にお宮参りをしたりと幅広い文化の国で宗教に対しても寛容なんじゃないでしょうか。兄弟や親子でも仏教とキリスト教に分かれているケースもさほど珍しくない。それは、そうしないと生きていけないという日本人の独特の文化ですからね。原理主義的な争いに対しては日本的な生き方の説明をすれば“ALL OR NOTHING”でも“白か黒”かでもなく折り合いが段々ついてくると思います。イスラム教でもキリスト教でも仏教でも同じようにある『慈悲』という気持ちは大切で、中でも仏教は宗教戦争がないんですよ。だから受け入れが良く、つまり『共存共栄』が大切なわけです。許容する文化の中でダブルスタンダードがあればどちらかが倒れてもどちらかが残るという事になります」 |
8月号のオフィス訪問を飾っていただくのは、先月に引き続き、日本画家界の巨匠であり、民間親善大使としての活動も兼務される平山郁夫画伯です。常に世のため人のためにと行動されている平山先生が2000年悠久の歴史から学んだ国家観について語られます。 |
先月号では『慈悲』の心と『共存共栄』への思いをお話いただいた先生、地球という視点から言えば「生態系、自然破壊については人間が巻いた種が非常に大きい。動植物の生態系も一緒で大きな鯨や目に見えないバクテリア、小鳥から獣たちと沢山生存している方が豊かで自然なんです。食物連鎖でも大きな鯨が小魚を食べても小魚はいっぱい卵を産み、一部が残る。猛獣でもお腹がいっぱいなら傍を通っても食べつくしはしないし、必ず次の代に残すんですよ。ところが生態系が崩れてくると、絶滅する種が出て、その後多くの種に影響が出てくる。それと同じ事が国家間の関わりにも言えて、大国や小国が調和することでうまくバランスが取れるし世界がうまく成り立っています。人間社会も国の中でも同じです。1000年かかって変化する事が短期間で急激に変わると生き物は生態系の中でやっていけなくなる。小さな物から大きな物までバランス感覚が必要で、大きな物や強い物はわがままになってはならないと思います。」
日本人については「元来、日本人は勤勉で研究熱心です。様々な物を発明・工夫したりして経済的には発展して良いと思いますが、それだけでは心を失ってしまいます。物心ともに心の豊かさを感じるのは人間性です。例えば外国の治安の悪いところや戦場に行くと、若者達はありがたいという気持ちを必ず持つと思います。危険な状態のちょっと手前で、勉強の為に高校生くらいから派遣すると、ぶつぶつ文句を言ったりひきこもりやいじめもなくなるのではないかと思うんです。現在いる自分の生活環境と他国とを比較する経験を持つと日本ほど有難い国はないと感じるはずです。
信長の時代(17世紀初頭)に宣教師達が日本にやってきて「日本人は貧しいが礼儀は正しいし、皆が読み書きを心得ている。将来日本という極東の国は大変立派な国になるのではないか」とリスボン、マドリッド、ローマへ報告している。日本人は外国人に対しても旅人に対しても親切で、その心はまだまだ残っていると思うし自然にお互いに助け合う良さは残した方がよいと思います。
日本は極東なので逃げる場所がないわけですから自国の文化と生き方を磨いて"自分も生きて相手も活かす"という方向で進めればいいのではないのでしょうか」という過去から未来を見据えたお話をいただきました。
日本国に対しては「愛国心は法律で国旗掲揚するような事ではなく自国の誇りを持つ事で態度も変わるし、外国の国歌や国旗に対しても敬意を評していくのは礼儀です。これは家庭のしつけや小さいときからの学校教育が重要で、その方が暮らしやすいし助け合える世の中になり、豊かで尊敬される国になります。例えばイスラム教は平等で貧しさの中でも分け与えて、その少ない中からさらに分け与えるという姿勢を持っています。「砂漠に生きる教え」は『平等』ですから。日本は経済的な恩恵を受けているので、良し悪しという判断ではなく、地球環境の中で仲良く共存共栄していこうとする姿勢が必要です。どんな国とも敬意を表しながら困っている人を助けようという姿勢、例えば大地震や津波といった天災の時も真っ先に向かうという姿勢が大切なんですよ」被爆された先生のお言葉には重みがあり、空気のように当たり前に“平和”を享受しているわれわれに大きな教訓と警告を与えてくださいました。
『全ては平和の為に』、先生の絵画の隅々に至るまでみなぎる生命の喜びが表現されています。「来週からまたモンゴルに行くんですよ」とおっしゃった平山先生、多忙な日々と創作活動の合間をぬっての貴重なお話、有難うございました。 |
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[座右の銘]
『人に迷惑をかけない』という事。
寛容になるという事は非常に難しいけれど、不思議なもので僕に迷惑をかけた人は他人にも迷惑をかけているんだよねぇ。人生それでは上手くいかないんだよ。 |
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平山 郁夫 (ひらやま いくお)
昭和 5年
昭和20年
昭和27年
昭和28年
昭和34年
昭和37年
昭和39年
昭和43年
昭和49年
昭和54年
昭和59年
昭和63年
平成元年
平成 2年
平成 4年
平成 5年
平成 8年
平成10年
平成12年 |
広島県生まれ
勤労動員先の広島陸軍平気支廠で被爆
東京芸術学校日本学科を卒業、
卒業制作『三人姉妹』買上げ主任教授の
前田青頓に師事
院展に『家路』が初入選、
以後入選を重ねる
院展に『仏教伝来』が入選。
記念碑的作品となる
第一回ユネスコフェローシップによる
ヨーロッパ留学 (〜38年)
日本美術院同人に推挙される
アフガニスタンから中央アジアを巡る。
以後シルクロード、仏跡の取材を
定期的に行う
ローマ法王パウロ6世に謁見
『古代東方伝教者』を献上
アテネの国立近代美術館及び
北京、広州で個展を開催
30年計画で奈良薬師寺玄奘三蔵院の
壁画制作を開始(平成12年)
ユネスコ親善大使に任命される
個展『シルクロードの心』開催、
東京芸術大学学長に就任
東京国立近代美術館評議員に就任
日本中国友好協会会長に選出される
文化功労者として顕彰される
日本育英会会長、
日本美術院理事長に就任
文化勲章受賞
奈良薬師寺玄奘三蔵院が完成
(7場面13面、総延長40m) |
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